日々徒然、気の向くまま適当につづっております。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

 - - -
<< *** | main | Happy new year! Hello Hello the beautiful world. >>
***
これから夕飯。

なんでしょう―んーと、なんかちょっと感傷に浸り気味な今日この頃です。何かが嫌な訳でも、何かが辛いわけでもないとは思うんだけどなあ…いや、勉強だ就職だ、そういう言葉はやっぱり面倒だったりとか、嫌だったりとかはしますけど、それは、ほら…ね。仕方ないじゃないですか、ちゃんと生活していく上で必要不可欠なものと云うか、親の脛を齧って―親を頼っての今の生活を考えたら、果たさなくちゃならない最低限の義務だろうと。(ちょっと、今日現段階ではサボっちゃってるけど…さ!)だから、そういうのは全部仕方ないと横に置いておいたとしてもなんだろうなあ、なんかこう靄がかかった感じと云うか。柄にもなく、去年何してたっけとか一昨年何してたんだっけとか、そういう事を思い返したりしてしまってるわけです。衝動的にお菓子が作りたくなったりだとか、衝動的に手の込んだ料理が作りたくなったりだとか、そういうのにも見舞われてます(笑)

と云う訳で、軽く自己分析。想像以上に鬱陶しい文ですので、閲覧はお勧め出来ないんだぞ!
日月はよく、友人から「真面目」という称号を頂きます。此れはきっと世間一般に見たら凄い良い称号だと思うんですけど、其れと同時に「真面目すぎる」とのお言葉も頂きます。長所と短所が表裏一体なんてのはよく聞きますが、その典型みたいです。「真面目すぎて、且つ、ヒトを信用していない。」んだそうです。と云うか、「誰にも心を開いてない」とか言われた気がするなあ。そんな辛辣な事を言ってくれる友達も中々居ないよね!とか思うわけですけど。んーと、飽く迄日月という人間を日月と云う人間が主観的に見た結果を言えば、当たらずも遠からずと云ったところでしょうか。流石に友人を信用していないなんて事は無いんです。私が信用していない…というか信用出来ないのは“私に対するプラスの評価”だけであって。女の子特有のあれですね、「可愛い」とか「やせてる」とかそういうのに近いかな。こればっかりは芯に沁みついてしまった癖のようなものなので。褒め言葉は、言って貰えるものであり、言ってくれてるものであり、社交辞令であり。受け取る事は出来ても、どうしても信じきる事が出来ません。自信持て、と云われても、日月個人の中に其の自信の根源となるものが存在していないと思っているので持ちようが無いと云うか(苦笑)ちなみに、誤解されない様に一言付け足すなら、私は友達の言葉を信頼していない訳ではないんです。皆が言っている事を嘘と思っている訳ではなく、結果として私の中の自分に対する評価と相俟ると社交辞令になってしまうと云う感じ。分かりやすく言えば、友達が嘘を言っているとは思っておらず、私の脳を介して友人の言葉を処理しているうちにそれが嘘のように思えてしまう。友達の中では真実かもしれないけど、日月の中では虚偽であるという―わっかりにくいな、逆に。こう見えて結構見栄っ張りなところがあるものですから、友人相手にだって平気で自分を少しでもよく見せる嘘をついて見栄を張るしね。誰にも見せてない一面なんて言えば聞こえはいいけどそういう面だって一応持ってはいます。正確には醜悪過ぎて見せられないんですけど、だって嫌われるのは怖いですから。後はきっと、価値観の相違の一言に尽きるのかなあ。Aから見てBが真面目に見えたとしても、Cから見てBが真面目に映るとは限らない。例えば、Bよりもふまじめな人間が五万と転がっているとしても、B自身が他者と比べた結果ではなく主観的に自分の事を真面目と捕らえているとは限らないと云うか。私は自分の事を真面目だとも思っていないし確りしているとも思っていないというか、正反対だと思っています。怠惰且つ不真面目且ついい加減。どちらかと言えば合理主義者。頑張るのは将来楽がしたいから。出来れば周りよりも裕福な生活が送りたいから、そんな感じ。と、まあ―こんな人間だったりもするわけです。あとは不確定要素を信じれないっていうのも。不確定要素って言葉を見る限りでは「何当たり前な事を―」と思われるかもしれませんが、其れには即ち人間の評価だったり感情だったりも含まれます、よ。正確には表に現れる事のない精神の部分における話ですが。いくら、目は口ほどにものを言うと言っても其れは結局のところ受け手の主観じゃないですか。何処にも信じ切れる証拠なんて存在してないのに、如何して信じれと。其れを信じて痛い目見るのは嫌だし、自分が痛い奴になるのはもっと嫌な訳です。言葉として受け取ったものは其処に言葉と云う媒介があって、紛いなりにも相手が綴ったという事実があるから多少信じる事も出来ますけど、相手の態度や行動、姿勢に籠められたものなんて感じ取ってたまるかと、そういう感じです。感じ取ったとしても、気の所為だとなかった事にするのが特技だったり、そうじゃなかったり。言いたい事があるなら口で言え、ってのは良い言葉じゃないかなあ、なんて。そんなこと言って自分は思ったことを中々言葉にしない性質でもあるんですが。矛盾、矛盾―自己憧憬。ほんと、人間ってのは生きるって行為を難しくし過ぎですよね。とか、哲学ぶった事を言ってみたり。けど、結局のところ―私が私に対する評価を受け入れられない最大の理由は、自分の事が余り好きではないからじゃないかなあ、とかも思います。至極単純な理由になりますが、嫌いと迄は行かずとも、好きではない。そう言ったら「自分の事嫌ってる人間を誰が好きになるよ?」と突っ込まれました。後、「自己評価云々は置いておいたとしても、其れを他人から日月に対する評価に迄当てはめるのは失礼だ」とも言われていたり。まあね、それは分かります。相手の価値判断諸々、私に対するものだけとは云え真っ向から否定している訳ですから、ね。ううーん、自分だって此の性格をなんとかせねばとは思っているんだ。後、否定ばかりすることに必死だから勘違いをされてるやもしれませんが、褒めて頂ける事は嬉しいんですよ。でも、其れに甘えるのは嫌なんです。否定をしたい訳ではなく、未だ認められないって感じです。その評価が偶に重く感じる事があるんだ。とまあ、色々つらつら徒然書きましたが、とどのつまり名前負けはしたくないなあ、ってそういうお話でした。

そういえば、とどのつまりのとどって魚の名前なんですってね。
00:16 日常 comments(0) trackbacks(0)
スポンサーサイト
00:16 - - -
COMMENT









Trackback URL
http://zwichenzug.jugem.jp/trackback/103
TRACKBACK